私がかねてから憧れていたラリーカー「三菱パジェロ プロトタイプ」を見学した時のレポート。今回は後編です。
(↓前編の記事はコチラ↓)
ボンネットや室内など、普段見られない箇所のディテール
プロトパジェロを熱心に見学&撮影していたところ、展示スタッフの方から「中をご覧になりますか?」とお声がけをいただき、ボンネットを開けていただきました。内部には市販車の面影はなく、スチールパイプで組まれたスペースフレームに【4G6型エンジン】が縦置きミッドマウントされています。
鋼管フレームにマウントされた(別タンク式)2基掛けショックと、ケブラー製インナーフェンダー。高剛性と軽量化を徹底したメカニズムは、どれだけ見ていても飽きることがありません。
続いて、リアカウルも開けていただきました。1992年パリ~ル・カップでは、ここに16インチサイズのスペアタイヤを3本搭載し93年パリ~ダカールでは(インチアップ化により)2本に減少しました。ケブラーで造成された箇所は、割と「クラフト感」のあるつくりで、見た目よりは機能性重視で仕上げられていることがわかります。(ライバルのプジョー&シトロエンは、この辺りも美観重視の全塗装仕上げでした)
リアカウル内側のテクスチャーも、実車取材をすればよくわかります。ここはカーボンとケブラーの平織材が使われており、補助テールランプの配線と2本のダンパーが備えられていました。
ドアも開けていただき、室内もじっくりと見せていただきました。写真では少しわかりづらいですが、メーターパネルは黒カーボン、床はケブラー、そしてパネル上部のフラットな部分は(反射防止のためか?)毛足の長い絨毯状の布か敷かれていました。
天井はケブラー製で、製造時に(開口部分などの)目印として引かれたと思われるマス目が残されています。ベンチレーターは、タミヤキットはかなり分厚いことが分かったので、0.5mm前後のプラ板で作り直した方が良いかもしれません。
バケットシートはカーボン&ケブラーシェルのスパルコ製です。刺繍はドライバーシートが「アルハジリ」、ナビシートが「マーニュ」となっていました。(この2人が実際にコンビを組んだことがあるのかどうかは分からないのですが、これも「余り物を取り付けたのかな?」と推察します)
ドアの内貼りは(ドアノブ破損に備えてか?)ワイヤーを一部、露出させた構造になっています。スライドウインドウは、フレーム部分も含めて全て透明樹脂(恐らくポリカ)製でした。カーボンケブラー板が貼られたところには「MEDICINE」「SURVIE」との表記があり、怪我をした時の薬品やサバイバルツールなどが固定されていたようです。
思いがけない方からのお声がけ
「せっかく実車と対面したのだから、自分の作品とツーショット!」と思いつつ、プラモデル完成品を出して写真を撮影していたところ、主催者サイドの紳士から「パジェロお好きなんですね。 しかも同じカーナンバーじゃないですか!」と、笑顔で話しかけられたので「30年間、ずっと会いたいと思っていた車です!」とお答えしたところ――、
なんと、お声がけいただいた紳士は、今回のイベントを主催された自動車部品メーカー「ボルグワーナー・モールスシステムズ・ジャパン」の三島邦彦 代表取締役社長でした。
三島社長は入社直後から、パジェロのラリーカーのプロジェクトに関われていたそうで、ル・カップまでを無事に走破したと知ったときの安堵感や、入社前に篠塚建次郎さんの講演を聞いたお話などもお聞かせいただき、たいへん光栄な機会となりました。(厚かましくも、私も自分の仕事や活動内容などのご紹介をさせていただき、名刺交換までさせていただきました)
しかも社長自ら、このような記念写真まで撮影いただき、恐縮の極みとしか言いようがありません。
さいごに現愛車の「アルテッツァ RS200」と、フェンス越しに記念撮影。慌ただしい時間ではありますが、夢のようなツーショットが叶い、幸せいっぱいの時間でした。
のちほど気付いたことですが、オフィシャルショップで対応していただいたのは、国際ラリードライバーでミュージシャンのミッチー浅井さまだったようです。(分かっていれば、色々とお話を聞きたかった)篠塚建次郎氏は2024年3月に逝去されましたが、これからも同氏とパリダカの歴史を追い続けていければと思います。
三島社長からは「次回はよりイベントの規模を拡大して行いたい」というお話や、具体的な提案内容も教えていただきました。パジェロにまつわる展示の内容もいっそうの充実を目指しておられるようですので、次の機会を楽しみに待ちたいと思います。